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ものづくりについて

3.11後に双葉町へ行って

   

3月11日が過ぎた。震災と事故から5年目。備忘録的に。
放射能汚染区域に入った時の話を。
といっても、手の中で鳴り響くガイガーカウンターをとっさに放り投げた恐怖は、絶対に一生忘れられないのだけれど。

 
 
2011年3月11日が過ぎたしばらく後、初めて「被災地」と呼ばれるところに行ったのは、東電の社員さんと。すでに放射能漏れで立入り禁止区域となっていた「双葉町」でした。福島第一原子力発電所の5号機と6号機のある町です。現在も「帰還困難区域」に指定されています。

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3月11日当日は、ある女友達が、双葉町から東京へと逃げてきました。
文字通り、逃げてきました。
上司に「若い人は行きなさい」と言われ、混沌のなか、結果的にはその場にいた患者たちを置いて、逃げてきたそうです。

そんな話を友人がとても明るく笑いながらするので、こんなに淋しくて辛くて痛い笑顔があるのかーと、手作りのアボカドまぐろ丼をいただきながら、ただ彼女の家で頷くことしかできませんでした。

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それからずっと心のどこかにあった双葉町へ。
放射能の被害もまだ、情報が錯綜しており、「もしかしたら健康な子どもは産めなくなるかもしれない」と思いながらも、「行こう」と決めました。

「行く」と告げると女友達は「私はまだ行く勇気が持てないけど、行ってらっしゃい」とまた明るく返事をくれました。

  
双葉町へは、友人の車で向かいました。彼は東電の社員さんです。放射能のプロです。
「今回の事故、どう思う?」と聞かれて、曖昧な返事しかできなかったな。

双葉町の入り口で、簡易の防護服とガイガーカウンターと注意事項を受け取り、敷地内へ入りました。
うっすい白い防護服と、青いビニールの靴カバー。
滞在時間は5時間。それ以内なら、放射能を浴びても大丈夫……だろうです。
ちなみに、日本で女性に許されている放射能の規定値は、男性の3分の1。男性より放射能に弱い、のです。
車の中だと放射能が入ってこないから、ちょっと安心です。

町へ向かう途中、野生の牛の群れとすれ違いました。
痩せていて、人間よりも数が多いからかな、こちらに対してものともせず、ゆっくり歩いてどこかへ行きました。

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町中へ入ると、木造の建物は壊れ、日常道具は道に散乱し、でも、人影はありません。
しばらく進んでやっと二人だけ、住人だったらしき人が白い防護服を着てマスクをして、荷物を整理していました。

海の近くまで行きました。ニュースでもよく流れた双葉厚生病院。テレビの中では屋上以外ほとんど沈んでいた建物も、水が引いてただの普通の建物でした。コンクリートの建物は、海辺でも壊れてもいません。

その日はすごくよく晴れていて、青空の下で「綺麗な町だなー」と思いました。
津波直後にはきっと泥まみれだっただろうに、雨で流されて、清潔そうな外観の建物たち。
今にも誰かが玄関から「あら」と出てきてもおかしくないのに、自分たち以外誰もいないのが不思議です。

車が止まり、友人が、外に出ようとしました。
私が「(防護)服、着ないの?」と言うと、
彼は「数時間なら大丈夫だよ」とドアを開けました。
瞬間、「ピピピピピピピピ」とガイガーカウンターが大きな悲鳴をあげ
思わず放り投げました。
怖かった。

防護服に身を包んで、建物の中へ入りました。
建物の中は汚染されていません。
みるみるガイガーカウンターの数値が下がります。
そこでやっと、ほっとして、マスクを外しました。

今思えば、平静なフリをしようと、あえてマスクを外したのかもしれません。
どっと疲れてソファに座り込んだことを覚えています。

そして撤退時間になった頃、海へ行きました。
『快水浴場百選認定』。津波がやって来た海。

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津波が襲ってきた海岸に、ぽつりぽつりと海を見つめる人の姿がまばらに。
「きっとみんな、帰る前に海を見にきたんだね」
「みんな、おんなじことを考えるんだね」
きっとこの人たちは、今日5時間の滞在を終えたら、次はいつ自分の町に来られるかわからない人たちなんだな。
双葉町に住んだこともなく、津波に追いかけられてもいない私は、なんだか邪魔をしてはいけない気がして、車を降りずに海をUターンしました。

綺麗な晴れた青い空と青い海。
そこにただ人だけがいない風景。

絶対に忘れないと思います。

なにも知らなければ平和にみえる静かな風景。

けれども、
手の中で鳴り響くガイガーカウンター。
上がり続けるメーターの数値。

一生忘れないし、忘れられない。

あんなに静かで怖くて、でも綺麗だった町は他に体験したことがない。
もっと泥臭くて、人が笑ってて、自然がうるさいくらいの、そんな町に、いつまたなるのかなあ。

あれから、双葉町から逃げてきた友人とは、連絡が取れなくなりました。
今、元気だろうか。

3月11日のことではないけれど、毎年、そんな風景を思い出します。

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